こんにちは、アヤトです!
5月17日の「激レアさんを連れてきた。」に全国から弟子入り志願者が集まる伝説的な大工さんだったのに、すべてを投げうって縄文人になった人、アメミヤ(雨宮国広)さんが登場します!
現在は縄文大工という肩書きなんだそうですが、そんなにすごい大工だったのに一体なぜ縄文人になってしまったのでしょうか?
今回は経歴や活動している場所、ご結婚されているかどうかなど調べてみました。
目次
アメミヤ(雨宮国広)のwiki風プロフィール
名前 | 雨宮国広 |
出身 | 山梨 |
生年月日 | 1969年 |
アメミヤさんは地元・山梨県甲府市で「雨宮大工」を営んでいた建築家で、寺社建築や文化財修復を扱う工務所で伝統工法を学ばれていました。
現在は伝統工法から石器の加工技術に興味を惹かれ、縄文大工として活動するようになりましたが、国際的な技術交流にも力を入れているそうです。
昔の社寺建築は釘を使わずに木材に作った凹凸を合わせる技術のみで建てる「木組み工法」でできた建築が多くあり、アメミヤさんもこういった伝統工法に携わってきたんですね。
この技術は北ドイツの「ツェレ」という地域一帯でも見ることができ、「ドイツ木組みの家街道」があることからアメミヤさんもドイツの職人とともに木組みの住宅建設を行った経歴もありました。
また「小さな削ろう会」という会の代表もされており、ドイツのニーターンゼクセン州ミッチンゲンに手作業だけで高さ6m、幅7mの大きな鳥居を建立するプロジェクトを成功されています。
参加者はチェコ、フランス、イギリス、デンマーク、ノルウェー、エストニア、ドイツ、日本と全世界のものづくりの職人が参加されていたというので、かなり大規模な会だったようです。
アメミヤ(雨宮国広)が縄文大工になった経歴は?
アメミヤさんは丸太の皮むきのアルバイトをきっかけに、20歳の時に大工であったお父さんに弟子入りします。
30歳の時に独立し、古民家や社寺文化財修復の仕事をするうちに、先人の手仕事をみたことで手道具のみでの伝統的な手法に強く魅力を感じたそうです。
アメミヤさんが縄文文化や石斧と出会ったのは2009年ごろで、東京都立大学の山田昌久教授と共に、能登半島の真脇遺跡で縄文住居の復元に携わるなどの活動をしています。
2019年9月には国立科学博物館の日本人のルーツをたどる「3万年前の航海徹底再現プロジェクト」で台湾から与那国島へ渡る丸木舟を制作し、子供たちに約3万年前の祖先の生活を体験するきっかけを作りました。
現在はSDGsにも着目し、「子供たちと考え作り上げていくSDGsクラウドファンティングプロジェクト」をされています。
目標金額は2,700万円と大きな金額ですが、自然環境への配慮が高まる昨今に必要な、応援しやすいプロジェクトなのではないかと思います。
もし「協力したい!」という方がいらっしゃいましたら、公式HP「Jomonさんがやってきた」にて寄付金を送ることができます。
アメミヤ(雨宮国広)は甲州市のどこに住んでいる?
アメミヤさんはご自分の出身地である山梨県の甲府市で現在も活動されているようですが、一体どこら辺に住んでいるんでしょうか?
調べてみたところ、甲州市の塩山三日市場という場所に住んでいらっしゃるようです。
なんでも、斧やかんななど手道具を使って5年がかりで作られた縄文小屋はこんな感じ。
博物館やアイヌ記念館などで見たものと限りなく近い形をしています。
食事の様子も動画に上がっています。
スペシャルインタビュー動画がYouTubeに上がっていたので、縄文小屋の雰囲気を感じたい方は是非ご視聴ください!
この時のアメミヤさんは毛皮をまとった姿で、本当に縄文時代の人が現在にタイムスリップしてきたかのような風貌です。
アメミヤ(雨宮国広)は結婚してる?
建築家としてかなり強いこだわりを持ったアメミヤさんですが、ご結婚されているのかも気になりますよね。
調べてみたところ、奥さんと3人のお子さんがいらっしゃるようでした!
「小さな削ろう会」でのお写真だそうで、この画像は2010年に撮られたもののようです。
この頃から10年は経っているので、お子さんはもう大人になっているでしょうが、当時はアメミヤさんの影響を受けて石器を作って遊んでいたんだそうです。
また、奥様についての画像などはありませんでしたが、こんなエピソードが。
奥さんいわく、雨宮国広はアホです! ですって(笑)
軽自動車がくたびれてきたので、奥さんが新しい車が欲しいと頼んだら、雨宮さんは『じゃあ馬飼うか!』と返したのだとか。
なんとも雨宮さんらしい発言ですね♪
出典:大屋工務店の家づくり
激レアさんに縄文大工・アメミヤ(雨宮国広)さんが登場!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は激レアさんを連れてきた。に登場する縄文大工、アメミヤ(雨宮国広)さんについて調べてみました。
- アメミヤさんは建築家で、文化財修復や伝統工法の技術がある
- 20歳の時に大工であったお父さんに弟子入りし、30歳で独立する
- 2009年に縄文文化や石斧と出会い、縄文大工になる
- 住所は甲州塩山三日市場というところらしい
- ご結婚されていて3人のお子さんがいる
機械でなんでもできてしまうこの時代に、あえて自然と向き合う生活をするということは他の人からは一見不便そうにも見えるかもしれません。
しかし意外とこういう「朝日が登るとともに起きて日が落ちると共に眠る」生活をしていると、インターネットなどでは入り過ぎてしまう情報も全くなくて楽なのかもしれないなと思いました。
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