天外者(てんがらもん)の五代友厚とは誰?時代や経歴と功績まとめ

気になるウワサ噺

こんにちは、アヤトです!

2020年12月11日、三浦春馬さんが主演された映画「天外者」

(てんがらもん)が公開されますね!

 

歴史の教科書を頑張って思い出してみても、

三浦春馬は知ってるけど、五代友厚は知らない!

なんて方も多いのではないでしょうか?

 

そこで今回は映画「天外者」を観る前に、五代友厚とはどんな人なのか?

  • 活躍していた時代
  • 経歴
  • 功績

などなど調べてみました。

五代友厚とは

出典:https://00m.in/tbHcG

名前 五代友厚(ごだい ともあつ)
生年月日 1836年2月12日(天保6年)
没年月日 1885年9月25日(明治18年)
出身 薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷
(現:鹿児島市長田町)
薩摩藩
豊子

五代友厚さんは江戸時代末期から明治時代中頃に活躍していた

武士であり、実業家です。明治維新の際、低迷した大阪経済を

立て直した重要人物のひとりで、五代友厚さんのお屋敷本邸があった場所は

現在、大阪科学技術館と日本銀行大阪支店になっています。

朝ドラをよく見る方はご存知かもしれませんが、2015年9月28日から

放送されていた「あさが来た」で五代友厚が取り上げられ、

ディーン・フジオカさんが役を演じられました。

 

今回の映画のタイトルにもなっている「天外者」(てんがらもん)とは

すさまじい才能の持ち主」という意味で、まさに主演を演じられた

三浦春馬さんにもぴったりの言葉ではないでしょうか。

五代友厚の経歴

五代友厚さんは「三国名勝図会」という薩摩や大隈、日向国などの領内の

ことを執筆していた記録奉行の五代直左衛門秀尭(ひでたか)の次男として

誕生しました。

五代友厚の幼少期

生まれが1836年ということで日本は何をしていた頃かというと、

天保の大飢饉の真っ只中です。そんな中、1835年にはみんなの永遠の推しである

土方歳三や坂本龍馬が生まれ、五代さんと同じ年には榎本武揚が

生まれています。

 

五代さんが勉強を始めたのは8歳の頃からで児童院の学塾似通い、

12歳の時に聖堂へ進学し、文武両道を学びました。

14歳の頃、お父様が琉球(沖縄)交易係でポルトガル人と交流があり、

入手した世界地図を五代友厚さんに複写させ、1枚は五代さんの部屋に貼られて

いたと言います。

五代さんはこの頃から世界に目を向けていたんですね。

 

18歳〜 武士・役人として活躍

1854年、五代さんが18歳になる頃には皆さんお待ちかねのペリーが浦賀に

やってきます。

出典:https://00m.in/LJHhp

この時日本は黒船に怯えてパニックになるのですが、五代さんは

男児志を立てるは、まさにこの時にあり」と奮い立ったそうです。

人々が混乱する最中に「今が行動しどき!」と思える精神力、ここからすでに

のちに大阪経済を立て直すほどの度胸と器量があったことが窺えます。

 

翌年1855年からは役人として開国賛成側の立場をとり、長崎でオランダ士官から

航海術を学びました。その後船乗りとして幕府の艦に乗り、上海にとこうし

薩摩藩のために汽船購入の契約をするなど藩のために尽力します。

ちなみにこの時、攘夷志士の高杉晋作と出会います。

この時代はみんなの推しが多い時期ですね。

 

しかしながら1863年、薩英戦争のために五代さんは乗っていた船ごと捕虜に

なってしまいます。なんとか江戸に入ることができたものの、

「捕虜になった」ということが悪評となり薩摩へ戻ることができず

しばらく潜伏生活をしていたといわれています。

29歳〜 実業家へ

1865年(慶応元年)五代さんが29歳ごろ、藩の命令で使節団としてイギリスへ

出発し、そのまま欧州各地を回りました。

ベルギーのブリュッセルで貿易商社設立の契約を取りましたが、薩摩藩の

財政などの理由により失敗に終わります。

翌年1866年には昇進し、薩摩藩の商事を一手に握る会計係になりました。

長崎小菅に船台式ドッグや機械室、英国製の巻上機が内蔵された

「そろばんドック」を開設するなど、ここから実業家としての

手腕を発揮し始めます

ちなみに、そろばんドックは現在も長崎の小菅町に現存しているそうです。

出典:https://00m.in/pJct4

 

1868年には戊辰戦争が起こり、西郷隆盛や大久保利通らと協力し

倒幕に貢献したことから明治政府の外国事務掛や外国官権判事となり

大阪府権判事を兼任するため大阪に赴任します。

 

この頃、今までお金の主流であった銀の取引を廃止、藩債の整理によって

多くの不動や両替屋の資産が消え、大阪経済が低迷し始めました。

そこで、経済回復のため五代さんを含む15名が動き、大阪商法会議所

(現在の商工会議所)設立の嘆願書60人分をかき集め

大阪政府に提出しました。

五代さんの嘆願書の集め方が強く、

「万が一、後から会へ加盟を申し込んでも拒絶、もしくは巨額の入会費を

徴収する!」

という脅し文句で多くの嘆願書が集まったとされています。

 

また、五代さんは現在も硬貨や勲章を作っている造幣局を大阪に誘致しました。

大阪が貨幣を作る拠点となり、大きな商業地帯として経済が立て直せたのは、

五代さんの活躍によるものだったのですね。

 

33歳〜 退官後の活躍

五代さんは1869年、33歳の時に退官します。

現在で考えると「33歳ってこれから働き盛りになるのに早くない?!」とも

思えてしまうのですが、この時代はまだ人生50年。

ペリーさんが来た18歳から奔走し始めたことを考えると、33歳は引退しても

おかしくない年齢なのかもしれません。

 

退官後は何をしていたかというと、紡績業や鉱山業、製塩業や製藍業など

多くの業界の発展に尽力します。

他にも、大阪における株式取引所や商法会議所、商業講習所(大阪市立大学)や

製銅、関西貿易社や共同運輸会社、阪堺鉄道(南海電気鉄道)などなど

様々な分野の施設や会社を設立しました。

残念ながら1885年、五代さんは49歳にして糖尿病が原因で亡くなって

しまいますが、その直前の年まで現在も存続する多くの企業の発展に

貢献しています。

五代友厚が残した功績は

「五代友厚ってすごいのはわかったけど、結局何した人なの?」を

ざっくりというと

  • 武士、役人として外交を担当し、戊辰戦争でも活躍した
  • 実業家として様々な業界の会社や施設を設立した
  • 明治維新で低迷した大阪経済を立て直すため、商工業を組織化した
  • 信用秩序の再構築を図った

の4つに分けることができます。

 

今見てきただけでも、49年という短い生涯の中に「人がやれるだけの限界」を

目一杯つめ込んだような働きぶりで、大阪が大きく発展できたのは

五代友厚さんあってのものだということがよくわかります。

その功績を称え、1914年には正五位、勲四等を追贈されています。

 

まとめ

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

今回は映画「天外者」(てんがらもん)の主役である五代友厚について

調べていきました。

  • 五代友厚とは大阪経済を立て直した功労者
  • 武士や役人、実業家など様々な顔を持ち、外交や経済発展に尽力した
  • 退官後は現在も大阪の主要施設として機能する証券取引所や商工会議所、
    市立大学や鉄道を設立した

 

まさに「すさまじい才能の持ち主」、天外者であった五代友厚さんを

同じ天外者であった三浦春馬さんがどう演じたのか、公開されることが嬉しく

観られることを非常に楽しみにしています。

映画「天外者」は12月11日公開です。

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