こんにちは、アヤトです!
「こんな夜更けにバナナかよ」、金曜ロードショーでついに地上波初放送されますね!
この作品のモデルとなった鹿野靖明さんが生まれた1959年というのは
まだまだインターネットが普及する前。それにも関わらず多くのボランティアを集め、
24時間介護ボランティアを回していたというのですごい話です。
今回の記事では
- 鹿野靖明さんは一体どうやってボランティアを集めたのか?
- 結局最大で何人集まったのか?
- 当時ボランティアをやっていた人の現在は?
について調べてみました。
鹿野靖明のプロフィール
名前 | 鹿野靖明 |
出身 | 北海道・八雲市 |
生年月日 | 1959年12月26日 |
没年 | 2002年8月12日 |
病名 | 筋ジストロフィー |
鹿野さんは先天性の難病・筋ジストロフィーを患いながらもボランティアを
駆使して自立生活を行なっていた方のお一人です。
同じように筋ジストロフィーで自立した生活を送る方もいたそうですが、
当時としてはかなり早い自立だったと言われています。
筋ジストロフィーは筋力や体の機能がだんだん弱っていく病気で、
鹿野さんも18歳で車椅子になり、35歳で人工呼吸器をつけ、42歳という若さで
亡くなっています。
しかし、多くのボランティアの方々と密着した生活を送った中で
人と人としてぶつかり、対等な立場としての関係を築いていきました。
作品の中でも、「不条理な病気と向き合い、ひたむきに生きる障がい者」や
「神や仏のような包容力を持つボランティア」はこれっぽっちも存在せず、
お互いに怒ったり笑ったり意見を衝突しあったりと人間らしく生きる両者の姿が
描かれています。
ボランティア、どうやって集めた?
鹿野さんは車椅子の生活になるまで、北海道リハビリテーション・センターの
訓練生として4人部屋の寮で暮らしていました。
1979年、鹿野さんが23歳の時に寮を出て自立しますが、18歳頃には足の
筋力低下のために車椅子生活となっていました。
ボランティアを集めるにも、現在ならばSNSなどで発信すれば、多くの人に
見てもらえるチャンスがありますが、この頃はまだインターネット普及前。
一体どうやって集めたのでしょうか?
鹿野さんは寝たきりの状態になっても外出が好きだったようで、
札幌・大通りの狸小路にボランティアと頻繁に出かけていたようです。
ボランティアには有償と無償の方がいたそうなんですが、24時間を3交代で
ローテーションを組むため、出先でチラシをまいたり、大学や専門学校の
授業の一コマで講演をするなど、「ボランティアがいなくては生きていけない」と
いう切実な状況を訴えながらボランティアを募っていたといいます。
もちろんチラシも講演も、良い反応ばかりではなかったでしょうが、
地道に数を重ねることで、結果的に多くのボランティアに支えられることと
なりました。
数は総勢何人?
鹿野さんの24時間を3交代制で、1日4人のボランティアが必要だったといいます。
ということは、1週間に28人、1ヶ月で120人もの人が必要になります。
中にはレギュラーで来るという方もいたでしょうが、あくまでボランティアと
いうことで、他に何かしら仕事などをしている方が多かったのではないでしょうか?
驚くべきことに、20代から50代の方がボランティアとして参加し、
総数で500人ほどもいたということで、こうしたボランティアと共に
生活する方の中では最も多かったと言われています。
「こんな夜更けにバナナかよ」の作者、渡辺一史さんによると、
よく遅刻してくる人がいたり、介助の仕方が上手にならなくて、鹿野さんから
NGを出された方もいるそうです。
もちろん人同士なので、1回来たはいいけど合わなかった、という方もいるでしょうが
札幌市内で、総勢で500人も鹿野さんという1人の人に関わったと考えると、
ものすごいことだと思います。
ボランティアの現在は?
ボランティアの総勢は500名ということで、その後何をしているのか?がわかった
方はあまりいませんでした。
当時1995年ごろから普及し始めたインターネットで鹿野さんは
「呼吸器使用者のささやき」という人工呼吸器使用者と医療・福祉関係者のための
HPを運営していました。さすが年代幅広くボランティアが集まっていただけ、
最先端だったんですね。
当然ではありますが、このHPの更新はすでにだいぶ前に止まってしまっていますが、
「ああ、初期の頃のHPってこんな感じだったよなあ」と非常に懐かしく思いながら
見ていると、ボランティアの方の中で、現在ご活躍されている方を見つけましたので、
ご紹介します。
- 山内太郎さん
山内太郎さんは北海道大学の学生だった時に鹿野さんのボランティアを
されていました。山内さんは鹿野さんに「なかなか骨のあるボランティアだ」と
面白がられた方で、人工呼吸器をつけても煙草を吸いたい鹿野さんVS
そんな自殺行為を手伝うためにボランティアをやっている訳じゃない山内さんの
バトルもありました。
山内さんは北海道大学大学院教育学研究科博士課程まで進みましたが、
後期課程で中退しています。その後、帯広大谷短期大学の講師や
北海道民選委員児童委員連盟主事を務め、現在は労働と福祉を考える会の代表と
札幌国際大学短期大学部の准教授として幼児教育学科に勤めていらっしゃいます。
- 俵山政人さん
俵山さんは北海道大学文学部の学生の時にボランティアへ参加しました。
その後は横浜市立の上菅田特別支援学校で先生をされていたようです。
まとめ
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「こんな夜更けにバナナかよ」のモデルとなった鹿野靖明さんと共に生きた
ボランティアの方々について調べてみました。
- ボランティアはチラシや大学への公演で募った
- 人数は総勢で500人と最も多かった
- 鹿野さんボランティアのうち2人は現在学校の先生をしている
この作品は「支える側」や「支えられる側」といった固定観念を取り外し、
対等な人間同士として生きる人々の姿が描かれています。
ぜひ、気になった方は原作も読んでみてくださいね!
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