こんにちは、アヤトです!
FIFA W杯カタール2022が近づいて
きましたが、11月20日の激レアさんも、
ワールドカップのエピソードです。
20年前のFIFAワールドカップで、本当は
呼ぶつもりがなかったのにカメルーン代表
をおもてなしするハメになった中津江村の
元村職員・長谷俊介さんが登場します。
中津江村は大分県にある地域ですが、
現在は日田郡に合併されています。
しかし、カメルーンとの絆は現在も続いて
いるようで、たびたびそのエピソードが
聞かれます。
今回は長谷俊介さんと中津村の現在、
カメルーンとのエピソードを調べて
みました。
中津村にカメルーン代表を呼んだ人・長谷俊介さん
出典:激レアさんを連れてきた
2002年、中津村にカメルーンキャンプを
誘致したのは、当時の村職員・長谷俊介
さん。
長谷俊介さんはそれまで村役場の中でも
税務課、企画課なども経験されていました。
役人気質というよりはアイディアマンで、
時に音楽祭を開いたり、カヌー教室を開い
たりとさまざまな企画を提案してきた人物
でした。
当時の村長・坂本休さんは『珍しがり屋
さん』と思っていたそうです。
W杯終了後、長谷俊介さんは役場を退職し
バックパックを担いで世界を旅したり、
誘致で学んだ芝育成のノウハウで会社を
設立したそうです。
誘致の本当の理由は…改修!?
カメルーン代表の誘致の理由となったのは、
国際交流でもスポーツ振興でもなく、
実は利用者が増えない”村のお荷物”と
なっていた『鯛生スポーツセンター』の
改修が目的でした。
赤字続きの中で改修時期が迫り、予算に
悩んでいた時期、ちょうどW杯日本組織
委員会から送られてきたキャンプの候補地
の募集が目にとまり、条件にギリギリ
クリアしていたことから手を上げることに。
最初は立候補するだけで宣伝になると考え
候補地にさえなれば準備のために補助金が
得られるのではと考えたそう。
2000年秋、長谷俊介さんの思惑通り
村は審査を無事に通過し、県内の
他3ヶ所と合わせて候補地に認定。
しかし本当に来るだなんて考えてもおらず、
組織委員会の関係者からも「多分どこの国
も行かないよ」とも言われていたそう。
長谷俊介さんは全く気にせず、『キャンプ
候補地』の看板が立っただけで改修予算の
相談のため、堂々と県庁に出入りすること
ができるだけで満足していました。
なんで中津江村がキャンプ地に!?
しかし、2001年6月にカメルーン大使が
視察に訪れると、そのまた2ヶ月後、
再び大使が訪問。
「我々は中津江村に決めるつもりです」
視察の帰り際、マネージャーにそう言われ
半信半疑のままあれよあれよと物事が進み
秋には正式にカメルーンとの調印式を
迎え、『候補地』から晴れて『キャンプ地』
に決定しました。
世界のスター選手のために大改修!
カメルーンチームは当時からかなりの強豪
で、メンバーの中にはJリーグで活躍した
『浪速の黒ヒョウ』エムボマや、のちに
4度のアフリカ年間最優秀選手賞に輝く
エトーなどのスター選手がやってくること
に。
一方、スポーツセンターは1泊3500円の
合宿施設で、部屋は畳敷きで風呂は共同、
寝具は布団しかないという状態。
てんやわんやでボランティアの募集や
送迎バスの手配などをなんとか済ませ、
お迎えの準備が整ったとき、ある事件が
起きました。
カメルーン…来ない?
その当時、10日間のキャンプ日程で到着は
2002年5月19日を予定していました。
しかし、当日になっても、その翌日に
なってもカメルーン代表団は姿を
現しませんでした。
その理由はフランス・シャルル・ド・
ゴール空港で起こった『大会出場を巡る
ボーナスの闘争』で揉めに揉め、出発
できなかったということ。
結局カメルーン代表団は5日遅れの午前3時
すぎ、ようやく中津村に到着しました。
その時の様子がこちら。
大勢の村民がフラッグを手に、ようやく
やってきた代表団を迎えます。
カメルーンは内輪揉めで到着が遅れたこと
でかなり緊張していたそうですが、村は
何も聞かずに温かく迎えてくれたことで
その後すぐに打ち解けたそう。
当時のカメルーンの戦績はグループリーグ
で敗退してしまったものの、2戦目での
初勝利の際、わざわざ村に電話して
「この1勝を中津江村の人たちに捧げます」
と伝えてくれたといいます。
あたたかいおもてなしは、いつの時代も
どんな人にも届くのですね。
中津江村の現在
カメルーン代表団の遅刻の一件でかなりの
マスコミが集まり、中津江村も一躍有名な
村になりました。
なんと『中津江村』という言葉が2002年の
流行語大賞にも選ばれています。
FIFAをはじめ関係者のすべてから「完璧な組織・運営」と賞賛され、ブラッター会長からは「微笑の大会」と命名された。
日本で予選を行う16ヵ国(日本チームを含む)が、日本各地でキャンプを張ったが、たくさんの自治体が、“経済効果”をねらってその誘致を行った。なかでもっとも成功したと思われるのがカメルーン・チーム誘致に成功した大分県中津江村。選手の待遇問題で到着が4日も遅れたことでの騒動、またその辺鄙な村の健闘を面白がって長期取材を断行したテレビ局、遅れはしたものの地元との友好に努めたカメルーンチームの気さくな人柄等々がプラスにはたらいた。
出典:新語・流行語大賞
その後、村には観光客が押し寄せるように
なり、カメルーングッズだけでなく村の
特産品も爆発的な人気に。
大改修したスポーツセンターはサッカーの
強豪校が訪れる人気施設にもなりました。
しかし、中津江村は『平成の大合併』に
より、日田市など1市2町3村と合併する
ことが決定してしまいました。
村長の働きかけで中津江村は合併される
ことになったものの、2005年3月から
『日田市中津江村』と名前を残すことに。
現在、中津江村の地域はこのように
なっています。
W杯で代表団を迎えたことで、自分達の
村を誇りに思っていた方は多いと思います
ので、合併した後も名前が残って良かった
ですね。
カメルーンとのその後のエピソード
中津江村は合併したものの、これで終わり
ではありません。
実はカメルーンとの友好は現在まで続いて
おり、主に『鯛生スポーツセンター』を
中心に交流は引き継がれているんです。
カメルーン応援団
大改修された『鯛生スポーツセンター』
は現在もあり、『カメルーン応援団』と
して友好を深める活動をしています。
カメルーン杯を開催!
『鯛生スポーツセンター』では、2002年
W杯カメルーンキャンプを記念し、U11の
ジュニアサッカー大会を毎年開催されて
います。
キャンプ地20周年展示会も
そして今年2022年、カメルーン代表団の
キャンプ地になって20周年を記念し、
当時を振り返る展示会が『鯛生』開かれ
ました。
ロビーにはカメルーン代表選手の等身大
写真やパネル、応援グッズなど約50点が
展示されました。
これによると、カメルーン代表団がW杯で
訪れた後も、大会で活躍したエムボマ選手
が中津江村を訪問し、サッカー教室を
開いたり、去年の東京オリンピックでも
カメルーンの選手団は中津江村を訪問して
いたようです。
カメルーンでも中津江村での出来事が大切
に語り継がれているのを感じますね。
チームメンバーも当時とは全く変わって
いるはずなのに、わざわざオリンピックの
機会にも訪れてくれるなんて、とても義理
堅い方々なんですね。
最初は『スポーツセンターの改修費に
予算がついたら…』なんて考えで始まった
誘致が結果的に大成功し、その後20年間も
こうしたあたたかな友好関係が続くって
本当に素晴らしいことですね。
ちなみに、FIFA W杯カタール2022では
カメルーン代表は11月28日、グループGと
して19時からセルビアと対戦予定です!
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まとめ
ここまでお読みいただきありがとう
ございました。今回は激レアさんに登場
する長谷俊介さんと中津江村の現在に
ついて調べてみました。
- 2002年のW杯で中津江村にカメルーン
代表団のキャンプ場を誘致したのは
当時の村職員・長谷俊介さん - 長谷俊介さんは現在役所を退職し、
誘致で培った芝育成のノウハウで
会社を設立 - 誘致理由は村のお荷物だったスポーツ
センターの改修費に補助金をつけて
もらうため - 本格的にキャンプ地として決まった後
てんやわんやで準備したものの、
カメルーン代表団が大遅刻してきた
ことで一躍有名になった - カメルーンはフランスの空港で
ボーナスについて揉め、5日遅れの
午前3時に中津江村に到着したが理由を
問い詰めずに「よく来た」と迎えて
もらったことですぐ打ち解けた - 中津江村は2005年に合併し、日田市に
吸収されたものの、カメルーンとの
一件から日田市中津江村と名前が
残った - その後、代表メンバーだったエムボマ
選手が中津江村を訪れ、サッカー教室
を開いたり、東京五輪の際に代表団が
中津江村を訪れたりして友好関係は
現在も続いている - 2022年はカメルーンキャンプ地と
なって20周年で、大改修した鯛生
スポーツセンターでパネル展示などを
行った
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