こんにちは、アヤトです!
5月24日の「激レアさんを連れてきた」では「自宅に侵入した強盗を溢れる人間愛とピアノの音色で改心させちゃった人」、7本指のピアニストで有名なニシカワ(西川悟平)さんが登場します!
突然家に入ってこられた強盗と夜通し話し合った結果、「もうこんなことはしない」と約束させ解散したというので人柄がすごいんでしょう!
そんなニシカワさんについて、wikiプロフィールや経歴、学歴とご結婚されているか?子供はいるか?について調べてみました。
また、同日放送されるもう一人の激レアさん、たった一人で映画を作って日本映画界に旋風を巻き起こしたホリさんについても調べてみましたので、ぜひこちらも合わせてお読みください!
ホリ(映画監督の堀貴秀)のwikiプロフィール!経歴や作品は?結婚してる?【激レアさん】
ニシカワ(西川悟平)のwiki風プロフィール
名前 | 西川悟平(ニシカワ ゴヘイ) |
出身 | 大阪府堺市浜寺 |
生年月日 | 1974年 |
職業 | ピアニスト・オペラ歌手 |
ピアニスト、といえば小さい頃から何時間も練習しコンクールなどで実力を示していかなければならない超過酷なイメージがありますが、ニシカワさんがピアノを始めたのは15歳のころ。
ピアニストになるのはいずれにしても狭き門ですが、ニシカワさんは遅咲きにしてその厳しい道をくぐり抜けたということは非常に才能のある方なんですね。
西川悟平さんという方は「7本指のピアニスト」として有名な方ですが、生まれつき指が7本しかない、というわけではありません。
初めは10本の指全てを使って演奏していましたが、2004年に「ジストニア」という難病にかかり、一時は両腕から動かせなくなる事態に陥りました。
現在は右手5本、左手2本の合計7本の指を動かせるまでに回復し、ニューヨークを拠点にプロとして演奏活動をされています。
ニシカワさんはこの「7本指」で活動するようになってからの書籍もありました。
ニシカワ(西川悟平)が強盗に遭ったのはいつ?
今回の「激レアさんを連れてきた」で語られるニシカワさんの強盗に遭った話は、どうやら鉄板ネタのうちの一つらしく、いろんな場面で語られているようです。
ニシカワさんが強盗に入られたのは2015年の1月、ニューヨークでの出来事でした。
ジストニアと診断されたのが2004年なので、ニシカワさんご自身も辛かった時期なのではないかと思います。
マンハッタンのアパートにいたところ2人組の強盗にはいられ、最初は怖かったもののなぜ泥棒をやっているのか知りたくなってきたと言います。
どうしてそんな視点に立てたかというと、ニシカワさんはアメリカの大学で心理学を学んでいたそう。
「どんな子供時代だったか聞いてもいいですか?」と泥棒2人組に質問したところ、初めは「お前なんかには分からない!」と言っていた泥棒も親からの虐待などの辛い過去をぽつりぽつりと話し始めたそう。ニシカワさんは話を聞いて号泣します。
深く同情したニシカワさんは「なんでも好きなものを持っていっていいから」と言い出しますが、泥棒の一人は「日本人には人に対する尊敬の念がある。俺はその文化が好きだ」と言い出します。
ニシカワさんは緑茶を2人に振る舞い、自分の辛い病気や、それでもピアノを続けていることなども打ち明けるなど朝まで話し込みました。
さらには強盗の1人が誕生日が近いということで、ハッピーバースデーを弾いてあげると泥棒はやがて笑顔になり、涙を浮かべて聴き入りました。
最終的に泥棒は何も取らなかったどころか、ニシカワさんと「もう泥棒をしないこと」と「いつか自分のコンサートに招待する」と約束し、シャワールームのバルブまで直して帰って行きました。
その後ニシカワさんは本当に彼らをコンサートに招待し、一度だけ「仕事を見つけた」と報告をもらったそうです。
泥棒も心を開いたからこそのエピソードですが、誰でも同じようにはいかないでしょう。病気を「ギフト」と言い、今の自分だから奏でられる音がある、と語るニシカワさんの人柄があったからこそのエピソードではないかと思います。
そんなニシカワさんの人の心を動かすピアノの音色、気になりますよね!
繊細な曲調の「Prelude イ短調」を披露する動画がありましたので、ぜひ聞いてみてください。
ニシカワ(西川悟平)の経歴は?
ニシカワさんがなぜ15歳になってからピアノを始めたかというと、元々中学ではブラスバンド部に所属していたことがきっかけでした。
部活動ではチューバを担当しており、「チューバで音大に入りたい!」と思っていたそう。
しかし、音大の入試にはピアノが必須科目としてあり、ブラスバンド部の顧問の先生に「音大に入りたいからピアノを教えてください」と頼み込んだようです。
本音を言えば、顧問の先生が可愛い先生だったそうで、「もっと近づけたら…」とちょっと不純な動機もあったと語っているのでお茶目な面もあるようです。
しかし、習い始めたその日にピアノに魅了され、チューバではなくピアノ科に行くと決めたというので、何か運命的なものを感じますね。
「1日15分は必ずピアノを練習する」と決め、結局毎日7〜10時間練習し続け、大阪音楽短期大学に合格しました。
その後4年制に編入するつもりだったそうですが、残念ながら2年連続不合格。
編入試験を受けている間はピアノを教えたり、イギリスをバックパックで回ったり、台湾にホームステイして中国語を学んだりと活動的でしたが、一度安定した生活をするために地元大阪の高島屋にある和菓子店に就職されました。
和菓子が好きで、人と話したかったから接客業というチョイスだったようです。
ではなぜそこからプロになったのか?というと、和菓子屋で働いている時も、ピアノ演奏の依頼が絶えなかったそう。西川さんのピアノは、人を惹きつける音が出るんですね。
そんな中、知り合いのピアノの調律師から「ニューヨークのジュリアード音楽院を出た、有名なピアニストが大阪でコンサートを開くから、前座で出てみない?」と誘いがあり、披露することに。
その時のコンサートの主役であったデイヴィッド・ブラッドショーに才能を見込まれ、ニューヨークでピアノをやらないか?と声をかけられ、再びピアニストとして活動することになりました。
実はこの大阪での前座、最初は和菓子店の繁忙期を理由に断っていたそうなんですが、「時間がないんじゃなくて、自信がないんでしょ?」と言われて「じゃあ、弾くよ!」とほとんど売り言葉に買い言葉で受けたんだそうです。
なんにせよ、この時のチャンスを掴まなければニシカワさんはプロのピアニストとはまた違った人生だったかもしれませんね。チャンスって掴むタイミングが大事!
ニシカワ(西川悟平)の学歴は?
中学から音大に入ることを志したニシカワさん。
高校はどこかというと、大阪偕星学園高校に通われていたようです。
調べてみたところ、この学校は音楽系のコースがあるというわけではなさそうです。
「チューバで音大に行くって言ってたのに、音楽系のコースがある高校じゃないんだ?」とも思いましたが、音大の入試にピアノが必須であることを知ったのが15歳(中3)ということだったので、進路を変える時期は過ぎていたんだなと思います。
逆に、15歳からピアノを初めて音楽科の高校というわけでもなく自力でコツコツと練習に励んだということはかなりの努力家ですね。
高校卒業後は大阪音楽短期大学に入学。4年制に編入するつもりが、残念ながらできなかったというのでやはり音楽大学はかなりの難関ということですね。
その後、アメリカでも大学で心理学を学んでいたということですが、残念ながらどこの大学かは明らかにされていません。
しかし、ニューヨークに住んでいたということなので、おそらくはニューヨーク大学(New York University)に通っていたのではないか?と思います。
ニシカワ(西川悟平)は結婚して子供がいる?
ニューヨークというアメリカでも最も才能に厳しい場所で活躍されるニシカワさんは1974年生まれということで現在は47歳。
ご結婚されているのかどうかも気になりますよね!
調べてみたところ、残念ながらどこにも結婚やお嫁さん、子供などの情報はなく、おそらく独身かと思われます。
情報がまた新たにわかりましたら追記していこうと思います。
激レアさんにニシカワ(西川悟平)が登場!
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
今回は「激レアさんを連れてきた」に登場する7本指のピアニスト、西川悟平さんについて調べてみました!
- 中学3年生の時、チューバで音大を目指すも入試にピアノが必須だということを知る
- ピアノを習い始めた当日、ピアノに魅了され音大の専攻志望をピアノ科に定める
- 高校は大阪偕星学園高校、大学は大阪音楽短期大学に通う
- 短期大学から4年制を目指すも2年連続で不合格だったため、和菓子店に就職
- 和菓子店に勤めていた頃、ニューヨークからきたピアニストのコンサートに前座で呼ばれ、才能を見込まれる
- ジストニアという難病と診断され、7本指で活動するようになったのは2004年
- 強盗に入られたのは2005年
朝まで話し込み、何も取られなかったどころかシャワールームのバルブを直してもらった - 結婚や子供についての情報はなかったのでおそらく独身
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